トーンポエムへお忍びで来店された、有名音楽家の方々

石川鷹彦さん    ご本人は、写真やテレビで見る石川さんそのまま(当たり前)でした、柔らかい人情味のある方で
            やはりギターが大好きみたいで、見て行かれました。小樽でのライブのリハーサルが終わっての時間を見て
            小樽散策中にご来店して下さいました。何でこんな店がこんなところにあるの?って不思議がっていました

奥田民夫さん    たいへんお恥ずかしい話ですが、実話ですので記載いたします。何が恥ずかしいと言いますと
            当日、奥田民夫さんご一行が北海道ツアーで回っておられることは知るはずもありません、私は・・・
            当日、沖縄のサルサバンドの方が小樽へ来られているのは頭の片隅に残っていたので、・・・・
            お昼に店へお越しになった一行、見るからにミュージシャン、したがって、私はつい言ってしまったんです。
            「沖縄からいらしたんですよね!」・・・・「いや、東京です。」「そうなんですか?・・・・」
            「まあせっかく来たんで、記帳して下さいね。」ご来店のお客さんには記帳してももらっているので・・・つい。
            メンバーのおひとりが、イスに座って、50年代のマーチンを弾いていて「バカ鳴りだねこのギター」なんて
            言っているところへ、「サインして・・・タミオチャン」。と言って帳面を渡して、本来であれば、ちゃんと順番に
            お名前・ご住所・電話と記載するページあるのに、彼は、一番最後のページになにやら、サインしています。
            僕としては、まあいいか・・・仕方ない・・と心でつぶやいていました。
            みなさんは、エレキマンドリンやギターを弾いて楽しそうでした、でも、イスに座った地味な男性は、相変わらず
            オールドマーチンをポロンポロンとつまむだけ・・・約1時間居座っていました。
            そうしているうちに、常連さんが来店、イスに座っている男性へ「奥田民夫さんですよね?」聞きました。
            うなずいた地味な男性は、奥田さんでした、僕はあれから、小樽では、奥田民夫さんへ、
            「いいから、ここに住所と名前書いといて」と言った、無知な店主と言われています。
            なんとこの光景は、スカパ(BS放送)で収録されていました。そう言えば、8ミリカメラ持っていたよね。
            夜になって、本物の沖縄のサルサバンドが来て、やっと心の整理がつきました。
  
    

中川イサトさん   店の近くに小樽では老舗のライブハウス 一匹長屋さんがあって、そこでお二人のライブがあることは
吉川忠英さん    情報入っていました、トーンポエムの常連さんがどうしてもライブ行きたかったのですが、チケットが入手できなかった
             そうで、仕方なく店で世間話していました。彼は、フルセットで、色紙・カメラ持参の大ファンでした。
            店主の私としては、何とか努力すべく、いわゆる仕掛けをしたんです、内容は、アコースティック音楽をがんがん鳴らし
            そうすれば、リハーサルが終われば、一息つくために外へ出るはず。案の定、店の外で待ち伏せすれば、
            来た来た!!イサトさんと忠英さんが、楽器屋で客引きをしたのは僕だけでしょうね。きっと。
            イサトさんは、長老と言った雰囲気、指にはピンポン玉で製作した、爪を装着、忠英さんも雰囲気あったな。
            イサトさんは、当時販売していた、アメリカのビルダー系ホフマンギターを盛んに弾いていました。

豊田勇造さん     豊田勇造さんは、素晴らしい方です。今回当店へは2回目、小樽の音楽居酒屋「あじや」でライブのため小樽へ
             小樽駅へ迎えに行った「あじや」店主の木本さんへ会うなり、一言言ったそうです、
             「去年来たときに連れていってもらった、楽器屋へ今から行きたいヨ」勇造さんの、小樽での初めての言葉です。
             昼に小樽へ入った勇造さんは、トーンポエムへ向かったものの、私は用事で留守、もちろん店も閉店状態。
             非常に残念がって、夜のライブを実施、僕は、勇造さんのライブは知っていたので、あじやへ聴きに行きました。
             ライブでの勇造さんのお話で、「何で、昼間に行ったのに留守で、夜のライブへはトーンポエムが来ている?」
             この光景を勇造さんは、歌にしてくれました。素晴らしいミュージシャンです。

             勇造さんは、本当にギターが友達なんですね。勇造さんは、音楽そのものです  

坂庭省悟さん    7月21日念願のナターシャセブンのお二人のライブを実施、大盛況に終わりました。
城田じゅんじさん
  北海道ツアーで高石ともやさんと、3人でツアーしていましたが、ちょうど21日は、高石ともやさんは
              マラソンに参加、その情報を京都にいる親友から得て、夢のライブが小樽で実現できました。
              僕としては、あこがれのお二人、音楽を教えくれた、方々です。
              それに、リハーサル中に城田さんが、「なんかマンドリン持ってやりたそうダネ」願ったりかなったり、
              すかさず、「やりたい!」僕はあのお二人とできる、主催者みよりにつきた夜でした。
              フィドラーで城田さんの旧友、平塚健太郎さんも、演奏は素晴らしかった、いろんな音楽ライブ聞いたけど
              こんなにエキサイティングで、盛り上がったステージは無い、超1級ステージでした。
              本とは、打ち上げのジャムがもっと凄かった。

悲報 大変残念なお知らせです。
坂庭省悟氏が、かねてより病気療養中のところ、
2003年12月15日午後9時頃、永眠されました。<享年53歳>
ここに謹んでお悔やみ申し上げます。



古川 豪さん  8月26日京都から、歌い続けて30年、日本のピート・シーガー 古川 豪さんがご来店。
          当日は、小樽でのライブで、時間の調整のため、当店へご来店、ロングネックのギブソンバンジョーを
          重そうにもって、ご来店です。
          背の高い、人情味あふれる人柄は、長年、フォークソングを愛して、ファンもみなさんから愛されいる感じでした。
          さっそく、ひざの上に、ギブソンのロングネックバンジョーが・・・・「このバンジョーは、良くよくねいねん、
          ねんでかって言うたら、ほら、ズレてるやろ、中のロッドが」・・・・・よく見ればロッドがずれていました。
          でも、長年付き添ったバンジョーは、大切に古川さんの膝の上にのっていました。
          指板も減っていました。「あれ?古川さん、このバンジョーには、キース・スクラッグスチュナーが付いていますね」
          「ああこれね。実際には使ってないねん、でも、楽器屋が売れへんから、いらんか?って言うからもらったんや」
          古川さんは、「俺にバンジョー持たせたと言うことは、弾けってこと?」「それじゃ!!」
          オールドターミー、フレリングの奏法は、もの凄く早いリズムです。私も、マンドリンでジャム!
          「それじゃこの曲知ってる?」次の曲へ・・・・・
          腰を痛めた姿は、お気の毒に感じましたが、音楽を愛している方だなってかんじでした。


中川イサトさん&住出勝則さん  9月5日北海道ツアーのため、初日の小樽ライブでご来店されました。イサトさんは、2回目のご来店
                     何となく前回より、お若く見えたのは、ナイスヘアーのためでしょうか?
                     今回は、20数年前シグナルで、ヒット曲を飛ばした、住出勝則さんを引き連れてのツアー。
                     住出さんは、僕と3つ違いですが、若さにあふれていました。
                     小樽でのライブを終えて、小樽のラグタイムギタリスト浜田隆史さんと4人で、音楽の話に延々4時間
                     住出さんは、気さくな方で、大阪人丸出しの爆発トークの連発、でも豪亜では、苦労されて、
                     1日7時間のギターレッスンを、2年間続け、今のギターテクニックになられたそうです。
                     アグレッシブな演奏は、さすがです。イサトさんもさすがしっとり聞かせる演奏でした。
                     イサトさんは、ギター界の大御所ですね、世界のギター音楽の話や、これからの音楽傾向や
                     どうやったら、日本にギター音楽が定着するか考えていらっしゃって、音楽一本でやられた事が
                     ひしひしと感じました。ツアーも最近荷物が多くてきついらしいです、もっと早くからやっていれば
                     良かったと、若いときに行ったギタースクール時代を悔やんでおられました。
                     そして若い人に一言・・・あんまりテクニックに走るな・・・・・音楽は心で奏でろ・・・・・

Akiさん&佐藤 潤さん         9月18日北海道ツアーのため、佐藤潤さんが、地元ラグタイムギターリストの浜田隆史さんと
浜田隆史さん               来店されました。北海道ツアーは、アコースティックギター界のジミヘンこと、Akiさんと
                       一緒に佐藤さんは、回るそうです。プロの音楽家として、自立したのは今年に入って、
                       Akiさんのお弟子さんとして、小学校の先生を辞めて、大好きな音楽に専念。
                       発売のCDは、現在3枚、意欲的に活動中です。
                       北海道の次は、長野へ行かれるそうです。浜田さんもプロの音楽家として、生活の厳しさも
                       淡々と話していましたが、私としては、音楽でやって行くすばらしさは、ほかの方には
                       厳しくても、味わえない毎日です。いいな若いってっと思ってしまいました。

                         後日Akiさんもご来店されて、素晴らしいギターテクニックを披露されました。
                       気に入ったギターを手にとって、クロマチック奏法が表現出来るオリジナルチューニングを
                       教えていただけるのかと思っていましたが、本に載っているとのことであっさりとかわされました。
                       さすがプロ!負けじと、浜田さんと私のマンドリンで、即興ジャムをして、遊んでもらいました。
                       ヤッパリジャムはいいな!浜田さんがエンディングを誘っても、更にソロを弾き出すAkiさん。
                       僕なんか、KeyをGと聞き間違えちぇって、なんか変だなと思いつつ弾いてしまった、
                       これぞ、ジャムの醍醐味! みなさん、始める前にKeyだけは間違えないようにくれぐれも・・

三宅伸治さん      2003年4月 友部まさと&三宅伸治 北海道ツアーが行われた。
              旭川・札幌そして、本州ミュージシャンが鬼門としている、ここ小樽での最終ライブである。
              三宅伸治さんは、2回目の小樽でのライブである、2人とも小樽でライブをしてみたかった、
              らしく、2人の意見がこのコラボレーションライブを生み出した。
              場所は、音楽居酒屋 あじやである、店主の木本氏は、心から、友部まさとさんの大ファン
              いや師匠として永年したっているとここと、その気持ちは、他の方では理解できないと
              思います。また、理解して欲しくない領域ではないかと思っています、したがって、
              私は、2回目の三宅伸治さんに注目、昨年夏に、暑いライブを見た私は、1人でも
              ちゃんとライブできるんだなっと、自信を与えてくれた音楽家でした。
              当日の演奏も、本当にギターのうまい、お客さんをのせるのがうまい演奏家だと
              感じました、胸に刻んだ蝶が何となく気になっていました。
              ステージ以外は、人の良い礼儀正しい人だと思います。思ったよりお顔が長く
              見えたのは、最近老眼が進んでいる私のせいだと思っています。


打田 十紀夫さん   2003年4月27日 打田十紀夫&浜田隆史 ライブのため、北海道に入った時の来店
              北海道は5回目くらいでしたが、ここ小樽ははじめてのライブ、前日に小樽へ来られた
              時の様子は、まるで行商のおばちゃんのように、背中にギターケース、両手にも・・・
              今回のギターは、トンプソン・ナショナル・モーリスの3台。
              私と、同期のせいか、当時の思い出や、昔の雑誌に話がてんこ盛り、打田さんは、
              実は、ブルーグラスバンジョーを目指して、勉強して、挫折してしまったそうです。
              当時は、教則本も少なく、演奏技術に苦戦を強いられたのが、今こうして、
              TABで教則関係に携わっているのは、やっぱりそんな経緯で、と思いました。
              プロレスラー、ジャイアント馬場をこよなく愛し、写真では、猪木ポーズをしていただいた。
              優しい人柄は、音楽を常に追求して、ギターを愛しているんだなって感じました。

吉川忠英さん 2004年7月22日 札幌のスペース23にて、札幌のシンガー井浦しのぶさんと、
          忠英ファンの桐生さんとで、アコースティック界の重鎮、吉川忠英さんのライブを開催。
          「僕の音楽を聴いてくれる人のためなら、たとえ数人でもギター弾きますよ」この忠英さんの
          一言で実現したプライベートライブです。思いの外北海道内のアコースティックファンが
          たくさん参加して下さいました。午後に忠英さんを札幌駅で出迎え、僕は、2回目のご対面!
          最初は、2002年に、イサト大先生とお二人で、地方ライブ活動の少ない忠英さんと
          小樽を皮切りに道内巡業の旅をされました。その後、ワールドカップ開催地札幌・小樽での
          ライブは、メインカードが忠英さんのライブに直撃、ホテルは取れない、コンビニでお酒は
          買えない、まるで、中国ウイグル自治区状態だったらしいです。
          (私が15年前、中国へ行ったときの印象です)今の中国は違いますよね。中国万歳!!
          今回のライブのきっかけは、忠英さんが井浦しのぶさんへ、携帯へ直電!
          「えー忠英です。吉川忠英です。こんにちわ。」直立不動の井浦しのぶが目に浮かびます。
          「私の知り合いの須藤もん、がいろいろお世話になっているそうでね。ありがとう!」
          ちなみに須藤もんは、30代の美人シンガー、忠英さんのギター教室の生徒さんだったらしいです。
          「僕もそっちに行くけど、あなたにお願いすれば、何とかなると思ってね・・・・」
          そんな感じで、しのぶさんから私へ、相談、そして、桐生さんへ・・・・・3本の矢は折れない。
          2時間のソロステージ!インスト有りの。笑い有りの!お酒有りの!
          本人結構楽屋で出来上がっていました。私も少し・・・・お酒っていいですね。
          忠英さんは、東京のライブはあまりにビジネス的で、冷たい!僕はこんな手作りのライブが
          本当に好きなんだ、これからもがんばるよ!・・がんばれ忠英!また来てね。

          

Robin Nolan Torio (ロビン ノーラン トリオ)
         2004年9月4/5日 厳密に言ってしまえば、トーンポエムにご来店の音楽家では
         ないので、掲載するべきではないが、掲載主が私なので、自問自答で「オーケーです!」
         日頃の音楽生活の一貫として、ジプシースウイングジャズを敬愛する集まりを立ち上げた、
         「ジャンゴロジー北海道」である、熱烈なメンバーのセッティングで、4日に、札幌の
         石山通りにある、宮越屋珈琲店の秘密工場件、社長の趣味の珈琲店で、いいことができた。
         ロビン ノーラン トリオがプライベートワークショップをやってくれたのである。凄いことだ!
         彼らは、ロビン兄弟(ギターでケビン&ロビン)とベースの方のトリオ編成。
         マヌーシュスイングジャズ、ジャンゴ・ラインハルトを敬愛する、ヨーロッパで活躍中のバンド。
         リチャードギヤ・ウイノラ ライダー主演の「オータム イン ニューヨーク」の映画音楽も
         カバーしている。(まだ見ていないので、偉そうなことは言えない、ネット情報万歳!)
         主役のロビンは、もの凄くナイスガイ。人間的のも素晴らしいミュージシャン。
         ワークショップでも、リードパターン、いろんなリズム刻み方、楽譜まで揃えてくれて、いい人だ!
         私は、ジプシーギターが弾けないので、久しぶりにマンドリンで参加、いいのかな?
         音楽スタイルにマンドリンが無いせいか、裏打ちや、独特のリズム取りに、ロビンも気に入って
         くれた模様で、「いいじゃん!いいじゃん!」(英語)と言ってくれた、夢はロビンノーランカルテット?
         ワークショップが終わって、当日のライブに行けなかったのが残念です!夜の仕事が・・・・
         でも、これも何かの巡り合わせか?
         電話がかかって、「なんか、今夜彼らのライブなんだけど、マンドリンの人来てほしいって」??
         ジャンゴロジーメンバーからの一報、どうしようかな?かみさんに、なんて言おうかな?
         「また行くの?もういいんじゃないの?」すでに、風前の灯火状態。
         「こんな事はめったにないね、」名文句「一生に一度しかないね、きっと」最終文句を発射!
         でも、ライブは凄かった!右足がリズム刻みっぱなしでした。アレンジもたいへん凝っていて
         みなさん満足したと思います。最後の曲が終わって、「それでは、ギターのプラグを抜きます
         特別ゲストで、ジャンゴロジー北海道どうぞ!」(英語)そして、マイナースイングをジャム。
         店の玄関先でも、演奏してくれたゾ!こんな感じで、熱いススキノの夜はふけていった。

及川恒平さん  2004年10月末、札幌時計台ホールでソロコンサート出演のため昔から大好きな
           及川恒平さんが、店に来て下さった!恒平さんとの出会いは今回が初めてであるが、
          僕は、中学校の時から知っている人です。僕には2人の兄が居ていずれも3歳違い
          その兄が、六文銭のアルバムを持っていて、それを一生懸命聴いていました。
          家にあったのは、色鮮やかな、ファーストアルバムと、六文銭メモリアル(解散アルバム)
          メンバーの全ての人が大好きで、唯一の四角圭子さんは、とても綺麗で、憧れだった。
          恒平さんは、「出発の歌」がレコード大賞を受賞したときに、テレビ中継をしたときの事が
          全く覚えていないそうです、僕は確かに、テレビで上条恒彦&六文銭として、ライブ演奏
          していたのを覚えています。そのころは、身体がぼろぼろだったそうで、それが、元で
          身体を鍛えて、プロテニスコーチ・マラソンをして、身体を鍛えたそうです。(まるで高石ともや)
          レコード大賞取得の商品の、マーチンD45プレゼントは、業界ではおきまりだったのでしょうか。
          恒平さんも、もらったそうです。坂庭省悟さんもD45、受賞でもらったそうです。
          当時六文銭のメンバーの原茂さんは、やっぱり、小室さんも、恒平さんも知らないそうです。
          誰jか原茂さんの行方教えて下さい!恒平さんも知りたがっていますよ。
          実は、大昔僕は、中学生の時、大牟田市民会館に及川恒平&五輪真弓ジョイントコンサートを
          楽しみにしていました。コンサート当日までに、ノートに詩を書いてこれを恒平さんに渡そうって
          思って会場へ持ってゆきました。しかしながら、当日、恒平さんは病気のため休まれたんです。
          その事を恒平さんに話したら、「あの時は身体がぼろぼろだったしね」そうだったそうです。
          でもノートのことは、話せませんでした。「あのころの汚れのない気持を見てもらうには
          はずかしすぎる」歳って取りたくないですよね。
          釧路出身の恒平さんは、もう実家は無いそうです。飾りのない温かい人柄は、あの時の
          恒平さんそのものでした。思い出は消えて行くけど、人の温もりは、いつまでも残りますね。